2016年9月13日火曜日

「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」が開催されます

10月30日(日)に、「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」というイベントが南さつま市大浦町で開催される。

「高ボネ山(正式な表記は「高ボ子=たかぼね」らしい)」というのは、大浦の名勝「亀ヶ丘」の隣にある地味な山で、これまで特にどうということもない地域の裏山だった。

ところが、この頂上付近にある岩にハート型の形があることから、高ボネ山を有する有木集落の人たちがその岩を「愛願岩(あいがんいわ)」と名付け、最近新たな縁結びの「パワースポット」として売り出しているのである。

そのため有木集落の人たちは、これまで木々に覆われてしまっていた高ボネ山の登山道をちゃんと通れるよう雑木の伐採を行い、各所に案内版を設置した上、頂上には日本の国旗を立てた(たぶん目印なんだと思う)。さらに、昨年は今回の先蹤となるウォーキングイベントも行い、満を持して、今回「愛を願う! 高ボネ山りんどう歩こう会」を開催する運びとなったわけである。

ちなみに、なぜ「りんどう」かというと、高ボネ山への登山道までは林道を通っていくということと、その林道沿いには竜胆(リンドウ)が咲いているということで、まあ軽いダジャレである。ただハイキングをするだけでなくて、花を見られる時期にやるというのはいいことだ。

実を言うと、私はこの動きを横目で見ながら、最初のうちはちょっと賛同しかねるようなところがあった。というのは単純な話で、私は「パワースポット」というのが好きではないのだ。その場に行くだけで何らかの御利益がある場所、というのがなんだが都合がよすぎるし(巡礼みたいに信仰とセットになった場所だったらわかるのだが)、そもそも何の根拠もなく雰囲気だけで「パワースポット」として扱われている場所が多すぎる。

もちろん、古くからの神社仏閣であっても、それをパワースポットとして消費するのはよくないと思う。こういうところは、歴史や建築、庭園や仏像などの文化財を楽しむべきで、もちろんその神々しい雰囲気に浸るということもあってよいが、そこだけを強調するのは軽佻浮薄ではないか。

とはいっても江戸時代の伊勢参りだって、今のパワースポット詣でとさして変わらなかったのかもしれない。伊勢参りをしていた人々は、ほとんど伊勢神宮の歴史とか関心がなかったようだし、それどころか内宮(天照大神を祀る)に行かずに外宮(豊受大神を祀る)だけ参っていたみたいだから、目の前の御利益を期待して参拝するという意味では昔の人も現代人とあまり変わらない。

だから「パワースポット」にそんなに目くじらを立てる必要はないのかもしれないが、「パワースポットと言っておけば若い人が来るだろう」とか思っている観光地があるような気がして、そういう態度がやっぱり気にくわないし、神社仏閣にしても、本来の価値を発信せずに「パワースポットだから来てね」といわれると逆に行きたくなくなる。要するに、パワースポットと呼ばれる場所には何の恨みもないが、軽々しく「パワースポット」を連呼する広報の方に違和感があるのだ。

ということで、私の中に「パワースポット」に対する不審があって、「愛願岩」を縁結びのパワースポットとして売り出しているのが、なんだか微妙な気持ちだったのである。

しかし、実際に有木集落の人たちが登山道整備をしたり、案内版を立てたりするといった地道なことをやっているのを見ると、こういうことならいいじゃないか、と思うようになった。「パワースポットだから来てね」というだけではなくて、通れなかった所が通れるようになる、どこにあるか分からなかったものが、わかるようになる、というのは、間違いなく価値を創り出す行為だからだ。

つまり高ボネ山の売り出しは、「パワースポット」を奇縁にして地域の自然や風景を見直し、価値を生みだしていく行為になっている。だから好感を持つのである。しかも、そういう活動をする中で、実際に関係者に結婚するものも現れてきて、まさに話が「瓢箪から駒」になってきた。まんざら言ってるだけの「パワースポット」ではないのである。

ところで、このイベントのポスターは実は私がデザインしたものである。通常こういうウォーキングイベントの参加者は団塊世代より上の人たちが多いものだが、主催者からの希望として「縁結びを謳ってるから若い人に来てもらいたい」というのがあったので、タイトルには「ラノベPOP体」というのを使ってみた。全体の雰囲気がラノベっぽくはないからあまり効果はなさそうだが…。

というわけでご関心がありましたらご参加をお願いします!(申込方法はポスターをクリックして内容を確認してください。電話申込です)

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