2012年3月26日月曜日

茶業今昔:茶の栽培にトライしてみたい理由

うちの近所では、このように管理が放棄された茶畑をよく見る。近所にあった製茶工場も2010年に閉鎖されたのだという。私は、いずれ茶の栽培もやってみたいと思っているので、茶業が下火になっているのはちょっと悲しい。

どうして茶業が衰微しているのかというと、その直接的な理由は、茶葉の価格が下がっているからである。統計を見てみると2000年前後をピークにして漸減しており、ピーク時と比べて半値以下になっている茶葉もある。

その減少の背後にあるのは、茶葉の流通・消費の構造の変化である。すなわち、ペットボトル飲料としてのお茶の普及と、自宅用緑茶の消費低迷が挙げられよう。今や茶葉の国内消費量の1/4は、ペットボトル飲料だ。

ペットボトルのお茶が急速に売り上げを伸ばした一方で、それに伴って生産者側が潤ったかというと、そうはなっていない。もちろん、一部にはうまく対応して収益を上げた生産者もいたわけだが、大部分の経営は苦しくなったのだった。なぜなら、ペットボトル用のお茶生産はそれまでと全く違うものが要求されたからである。

それは、年間を通じた供給の安定と、品質の均一さ、低価格であった。これは、従来のお茶生産と真逆である。なぜなら、お茶は新茶が重要視され季節性が強いものであると同時に、産地毎の微妙な違いを楽しむものでもあり、多品種少量の生産・消費が一般的であったからである。そのため、産地毎に味や香りに特徴を出すとともに、いかに特徴ある新茶を高く売るかということに重点を置いた生産・販売の体系が作られてきたのであった。

当地、南さつま市大浦町のお茶栽培は大正期に開始されたものだが、これも通常の八十八夜より1ヶ月早いという「走り新茶」を大阪へ売り込んで盛んになったものだ。これは、当時としては日本一早い新茶だったらしく、一時期は「大浦茶」として世に聞こえたらしい。

しかし、ペットボトルのお茶にとっては、新茶など何の意味もないのである。また、産地毎の特徴に至っては、品質管理上の障害にしかならない。これまでの茶業が依って立ってきたビジネスモデルが一気に裏目に出たのである。そのため茶葉の国内生産量は据え置かれつつ、近年、茶葉の輸入が増えてきている。

そもそも、日本の茶業は輸出産業として発展した。明治から大正にかけての貴重な外貨獲得の手段は、紅茶の輸出だったのである(紅茶と緑茶は製法が違うだけで茶の木は同じ)。古くからの産地ではなかった静岡が茶の一大生産地となったのも、輸出のための海路(横浜港・清水港)に恵まれていたということが大きかった。

戦中戦後は茶業も低迷したが、高度成長期には国内消費が増えたために生産が国内向けに転換されるとともに急速に増産が行われた。茶業にとっては、ある意味でこの時期に負の遺産が形成されたと言ってもよい。お茶の消費増は、嗜好飲料がまだ十分なかった高度経済成長期の一時的な現象だったと考えられるわけで、その時期に作付け面積を拡大させたことは、長期的には過剰生産体質の原因となった。

つまり、「昔の人はお茶をたくさん飲んでいたが、今の若者はあまり飲まない」というのは嘘なのだ。昔、お茶は贅沢な嗜好品であり、庶民はさほど飲んでいたわけではない。お茶をたくさん飲むライフスタイルが形作られたのは、高度経済成長期という割と最近のことなのである。

しかもこの時期、お茶が生活に浸透したのは(茶業界にとって)よかったが、一方でお茶があまりにも身近になりすぎ、飲食店等では「お茶はタダで出てくるもの」という常識が形成されてしまった。これでは、外食産業における茶の消費は期待できないというものである。

そう考えると、最近の茶業の低迷は、長期的なトレンドとしては致し方ない。茶は嗜好品である以上、コーヒーや紅茶、ジュースといった他の嗜好飲料が充実すれば消費量が減るのは当然である。しかも、緑茶は身近になりすぎて、嗜好品としての競争力が低下している。ペットボトルのお茶が普及したことで、お茶の消費量が堅調に推移していることは、茶業にとってはむしろ僥倖といえよう。

今後の日本の茶業をマクロ的に考えると、自宅用煎茶の生産は縮小し高品質化・高価格化を目指す一方、ペットボトル用には省力化・大規模化による均質な茶葉生産体制を形成することが重要だと思う。事実、南九州ではペットボトル用のお茶生産に適応して生産量を伸ばしている産地もある。

また、緑茶をあまりに身近な日常的な飲み物ではなく、本来の嗜好品の地位に戻してやることが必要だし、それが現今の流れでもある。 都市部で流行っている「nana's green tea」とか「祇園辻利」といった店は、嗜好品としてのお茶にはまだまだ可能性があることを示している。なにしろ、米国のスターバックスでも、抹茶ラテは売っているのだ。

そして、こうした店が煎茶ではなく抹茶を売りにしていることは、嗜好品としてのお茶の方向性を示唆している。嗜好品である以上、身近になりすぎた煎茶よりも、プレミアム感がある抹茶が有利なのは当然である。

とすれば、鹿児島県は全国2位のお茶の生産量があるにもかかわらず、なぜか抹茶の生産はほとんど行われていないわけだが、これからは抹茶生産が重要になるかもしれない。私が茶の生産にもトライしてみたいと思うのも、これまで抹茶生産の伝統や蓄積がない鹿児島だからこそ、面白い経営ができるのではないかと思ってのことなのである。

どのように抹茶を生産・販売するかということは工夫が必要だが、いつか、鹿児島産の抹茶を世に問うてみたいと思っている。

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